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| 知り合いの編集者の紹介で、大学院を卒業したばかりの駆け出し建築家・R君と飲む機会があった。彼は、拙著『外断熱は日本のマンションをどこまで変えるか』の読者だった。 凛と張った声でR君は語る。 「建築界は、閉じています。もっと開かなくてはいけないと思う。僕は、住む人の心や身 体、環境、その土地の来歴などを考えた建物をつくりたいけれど、周囲の若い建築家は、判で押したように『ビッグ・プロジェクトをやりたい』と言います。 みんな、大学院の卒業制作は大きな大きなプロジェクトのちっちゃい『模型』をつくり ます。でも、卒業して、建築事務所に入ったら、陰で不平を漏らしながら、集合住宅なんかを嫌々、設計している。なんだか、違うよなと思います。 僕は、卒業制作でも、ほんものの建物をつくりたかったので、二〇坪足らずの土地に母 と姉と三人で生活する自宅を建てました。五歳のとき父が亡くなって、ずっと暮してきた古い家を壊し、建て替えました。いろんな思い出がつまっていて、愛着のある家を壊すのは辛かった。でも、母と姉を説得して、挑戦しました。 卒業制作でそこまでやるのはバカじゃないか、と周りに笑われたけれど……。 職人さんと一緒になって、壁を塗り、柱を立て、現場で寝起きをしました。そのとき思った。僕は建築現場での技術や知識、ボキャブラリーが全然、足りない。住む人のことも知らない。だから、頭でっかちの設計事務所に入るのはやめよう。徹底的にお客さんとディスカッションをして丁寧に家を建てることで知られる建築家に、弟子入りしました」 「すばらしい選択をしたね」と私は応えた。 ヨシッ、ふんばれよ、と内心、声をかけたくなった。 久しぶりにまなざしが「上」でも「下」でもなく、まっすぐ「前」を向いている青年と 出会った。R君は、朝鮮籍の在日三世である。 ノンフィクションの書き手にとって「出会い」は、「生」そのものだ。熟した果実が、 風に吹かれて、地面にポトンと落ちる。そんな日々の問題意識の延長上の出会いもあれば、 まったく予期していなかった出会いもある。だが、「出会い」と感じた瞬間、それは偶然 ではなく、必然となる。必然化する作業こそが、「書く」ことにつながる。 私が初めて外断熱を知ったのは、あるベテラン編集者を介してだった。拙著のあとがき でも書いたが「なに、ソレ」が、第一印象だった。しかし、取材を通して、さまざまな人 と会ううちに日本という国が、いかに目先の「移ろいやすい」もの(その象徴がおカネ)し か見てこなかったかをしみじみと感じた。 日本人は、あげ底の「豊かさ」に馴らされ、気がつけば、世界経済の源流にばんきょす る欧米の大財閥とその手先の国際金融シンジケートの投機屋たちによって、バブル経済に トドメを指され、不況と財政赤字の二重苦である。 胸に手を当て、もう一度「豊かさってなんだろう」と問うてみたい。 経済指標は低くとも日本人よりよほど豊かに暮している人たちは、世界じゅうにたくさ んいる。 たとえば、南イタリアの田舎町・アルベロベッロの「トゥルッロ」と呼ばれる石積みの 家でエアコンいらずの生活を送っているおばあさん。 昨夏、取材で彼の地を訪れたとき、不意にミヤコ喋々をバタ臭くした感じのおばあちゃ んから「家のなか、見ておいきよ」と声をかけられ、通訳、カメラマンともども図々しく、入り込んだ。 50センチ四方の平たい石灰石を積み上げて漆喰で固めたドングリみたいな形の家であ る。屋内は、同心円状のドーム型。雪のカマクラをドーンとスケールアップした感じだ。 広さは二〇畳、いや、もっとあるだろうか。 この建て方は、15〜16世紀に始まったといわれ、一帯はユネスコの世界文化遺産に 指定されている。おばあさんは、わずかな年金と家族の援助で、観光客も足を踏み入れな い、坂のきつい旧市街の外れの石積みの家にひとりで暮していた。 われわれを迎え入れた彼女は、 「子どもたちの部屋は、ほら、あそこだったのよ」とロフトを指差す。 戸外の焼けつくような日差しが、ここには届かない。ひんやり、涼しく、心地よい。 室内側には、もうひとつ石の壁があり、二重壁になっている。熱容量の大きな二重の石 壁で築かれているので、断熱性能が高いのはいうまでもない。 石の建築文化の「芯」に触れたような気がした。おばあさんは言う。 「寂しくなんてないわ。毎日、必ず、息子や娘、孫が訪ねてきてくれるし、しょっちゅう、 家族で食事をしてるのよ。あの子たちは、街のコンクリートのアパートに住んでるけど、 あたしはゴメンだね。少し不便でも、住み慣れたここが、いい」 「健康の不安はありませんか?」 「ぐあいが悪くなれば、ベッドに寝るだけよ。ここでね。誰かが看病してくれるわ。もう 歳だから、あとは神様のお召しを待つばかりだわねぇ」 私はよけいなことを訊いてしまったようだ。自家製の甘いレモンのリキュールを一杯、 ごちそうになって、石積みの家を辞した。 ふたたび、南イタリアの太陽にカンカン照りつけられながら、豊かさについて考えた。 生存に関する根本的な経済的条件は整っているとして、行き着いたのが、次の「豊かさ三 条件」である。 ・いい人と出会え、いい人と支え合っていると思える人間関係(家族関係を含む) ・ずっとここにいたいなぁと感じられる環境(自然環境を含む) ・なるほど、ここにはこんな物語があったのかと実感できる歴史 (自分史を含む) つまり、人間関係、環境、時間の流れが、分断されることなく、連関を保ちつつ形成され ている社会に私は「豊かさ」を感じるようだ。 改めて身のまわりを眺めてみた。暴力的とも言える景観が、眼前に迫ってくる。 「よい建物を長く使う」建築文化への転換が急務であることをひしひしと感じる。 「公」という言葉は、日本では、もはや死語になってしまったのだろうか……。 R君との対話は楽しかった。久しぶりに終電まで飲み、別れ際、私は彼に言った。 「よい建物を長く使う建築文化への転換は、その物理的効用だけではなく、社会のあり方 を変革していく、大きな可能性を秘めている。きみらの番がもうすぐ回ってくるよ」 若き建築家への精一杯の激励をこめて……。 (無断転載を禁ず) |
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